私はシャーリー。
20代にプレゼントされたシャネルのバッグ。
今から使おうと思ったけれど、あまりにも長い間、裡捨てられていたので内張りが風化している。
この際、張り直してもう一度、一軍に起用しようと思った。
大丸デパートにあるシャネルに依頼した。
数日後、連絡が・・・「お客様のバッグは、当社のものではありませんので、お直しはしかねます。」
ですって~。 「えっ! にせものですか」、「当社のものではありません。」
恥ずかしい、回収にいけない!
処分してください・・・と、言いかけたが飲み込み、ずーっと経って引き取りに。
たぶん、ダーリンは知らない。 偽物つかまされたなんて。
世間離れしているダーリン、そんなものは買わない。
まして、この私に当時のダーリンの私に対する思いに免じて、黙っていよう。
そうなると、また捨てるわけにいかない。 また、タンスに戻す。
モノなのに、本物でも偽物でもプレゼントされたモノだから、その人に対する私の解釈がまとわりつく。
ところが、先日、話の流れからバッグの話になった。
「もらったシャネルのバッグ、あれ偽物だったよ。」
と、打ち明けた。
そしたら、なんと
「そうだよ。」だって、 悪びれもなく。
え~~~~~、知ってたの。
話によると、当時、得意先の上司に勧められ、偽物と知りつつ、出入りの若手営業マンはみんな買ったのだと。
どんな上司なん。
まあ、以前はよくある話だけど。
仕事熱心なダーリンは、たぶん一番に手を挙げて、買ったんだろう。
私のためでなく、仕事のために・・・それなら、わかる。
バッグが家に来たいきさつは、これが真実だ。
しかし、私は、その頃まだ純情な箱入り妻だったばかりに、勝手にダーリンの愛だと思い込んだ。
そして、疑わずに27年間。やられた。
危うくバッグにまつわる愛の歴史ができるとこだった。
もし、ダーリンが先に旅立ったなら、ますます美化し、朽ち果てるまで捨てられなかったかも。
ふたりで爆笑した。
夫婦の間に、もうモノは必要ない。
そんな気がした。
いよいよ、このバッグも心晴れて、さようなら。・・・落ちがついて、たのしかったよ。
しかし、偽物を私に贈るとは・・・どうゆうことよ?とむし返したくなる。
きっと、私、わかってたんだと思う、使う気がしなかったんだから。
だから、腹も立たなかったんだと思う。
人は、事実と関係なく、それぞれの解釈を展開させる。
それぞれがどう思うか、どう感じるかで事実とはまったく関係ない。
人の歴史はそうやって作られていると感じた。
断捨離眼・・ありがと。